干ばつ
目まぐるしく変わる情勢のなかで、私の生活には変化が少なくなった。
1月、2月こそ変化の少ない情勢に激怒し、「早く手を打て」と思いながらSNSを通じて情報を集めようとしていた。未知というものは恐ろしい。ひとつでも自分にとって有益な情報はないか、新しい情報はないか、と精力的だった。
危機感が私を駆り立てた。
生活における感情は、何かを考えるきっかけになる。それがアイデアを生む。起伏があるのは常だ。より強い感情は、より強い行動につながる。
時間が経つにつれてわかってくる情報が増え、具体的な対策が取られ始めてきた。私が既に調べた内容に近いことが連日ニュースで報道される。人々を煽る。私が感じていた危機感は、世間の人々と共通のものとなった。
政治に興味を持ち、得体の知れないものについて調べ、自分の言葉として消化し、自分の意見を持つ。
この生産的な流れが、今の私の中で細くなっている。
これは「自粛疲れ」と言いあらわせそうだ。自粛に疲れて外に出た、という意味で使われがちなこの言葉だが、これは自粛に飽きただけできっと疲れていない。本当に疲れていれば何も手につかず、何もしなくなる。
何もしない、やる気がない。
感情を表す言葉が少しずつ使われなくなっていく。
だんだん、だんだんと細くなり枯れていく。
干上がってしまうのも時間の問題だ。
枯れた語彙は、感情は、
1人の力では取り戻せない。
会話によって言葉を浴びて乾いた心に潤いを取り戻せる日はいつくるだろうか。
さぁ、季節は梅雨だ。