独り言 備忘録

独り言です。気が向いた時に更新します。

9/14 DAY2

●起床

みんなで昼前まで寝てチェックアウトを延長した。

行きと同じバスに乗り、伊豆急下田駅に戻る。

 

 

昼食はまたも寿司に決まった。この道の駅の中にある回転寿司である。

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このとき我々のグループは14人いて、6人がテーブル、6人がカウンターそして、数人の観光客を挟んで2人がカウンター席に通された。

 

私は2人の方になってしまった。メニューを決める会話が弾むであろう他の人達とは違い、2人だと速攻で食べ終わる。早々に店を出た。

 

●黒船

他のメンバーを待つ間、私は黒船クルーザーに乗っていた。

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潮風を浴びながら下田港周辺を一周した。

 

●下田をめぐる

帰港したのちに、自転車を借りた。ペリーロードを目指す。

 

ペリーロードは石畳で出来ており、横には小川が流れる。そこまでの規模はないが、倉敷の町並みとでも例えられようか。

 

本当は歩いてこの景色をゆっくり眺めたいところだったが、時間が限られているため自転車で駆け抜けた。

 

続いて訪れたのは、「下田開国博物館」である。ペリーが来航してからの日本の動きはもちろんのこと、舶来品、駐日総領事ハリスやロシアのプチャーチンの来航などが資料とともに学べる。

 

歴史の教科書で見るような資料も展示されており、社会科の教員を目指した身としては非常に興味深い内容であった。

 

最後に、下田城を訪れた。

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このマップに表示されている下田城を目指す。

急な坂を登り、電動自転車の力を存分に借りながら辿り着いた。

 

 

 

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この有様である。荒れ果てていて、今にも崩れそうだ。

そもそもこれは美術館の一点に過ぎない。個人の所有物であり、小田原攻めの時に北条方の水軍の拠点となった下田城ではないのだ。

 

やや衝撃を受けたが、そういえば以前下田を訪れた時にもこれを見たような気がする。完全に失念していた。

 

ペリーが日本を訪れ日米和親条約を締結してから、165年。開港ののち、外交の拠点として活躍した下田港の歴史を振り返ることができた。

吉田松陰が海外渡航を企て、ペリーに直談判したのもこの海である。私は相模灘の沖には出ていないが、彼らは黒船の先に、この海岸線の先に望んだ景色は一体どのようなものだったのだろう。

 

視点を変えてみる。

ペリーがもし日本を訪れていなかったら今の日本はどうなっていただろうか。

 

歴史にもしも、や、たらればは存在しない。歴史を奇跡の2文字で片付けていいのかはわからないが、それ以外の何物でもないのかも知れない。下田で歴史を追体験しながら、1つ1つの奇跡に近い事象が確実に今を作り上げていると実感した。